吉原の一番奥のほうに、神社があったので寄ってみた。
神社に吉原の町の江戸時代からの区画の変遷の地図が貼ってあったのを見てみると、周りにあった堀とかはなくなっているけれど、基本的な区画は変わってないことが分かった。
吉原神社の近くにある、新吉原花園池跡ちに行ってきた、写真の観音像は、関東大震災の際に、大きな池だったので地震の際に発生した火事から逃れるためにここに逃げてきた人が500人ぐらい溺死したということで、供養のために作られたらしい。
跡地ということだけあって池は、電話局の建設のために埋め立てられてどうやったら500人が溺死できるんだよ!?っというぐらい小さな池になっていた・・・