吉原つながりで、吉原から少し離れた三ノ輪の駅の近くにある、投げ込み寺として有名な浄閑寺に行ってきた。
寺の入り口にの看板によると、安政2年(1855)の大地震の際に、たくさんの新吉原の遊女が投げ込み同然に葬られたことから「投げ込み寺」と呼ばれるようになったと書いてあった。
投げ込み寺っていうのは、いろいろなところにあって身寄りのない遊女とか、行き倒れの人を葬っていたみたいだね。
遊女の供養のために作られた、新吉原総霊塔、自分は気が付かなかったんだけど土台の横にある格子から中に積んである骨壺が見えるみたいだね、江戸時代の間に、25,000人ぐらいが葬られたらしいから相当な量の骨が・・・