毎日電車の窓から地蔵が見ているのだが行ったことが無かったので、南千住駅のちょっと先、日比谷線と常磐線が交わるあたりにある延命寺と回向院に行ってきた。
ここは今では普通の町になっているけれど、昔は、小塚原の処刑場があったのです。江戸時代300年間のうちに大量の人が処刑されたから、ここら辺の地面を掘れば骨がたくさん出てきそう。
小塚原刑場は、火罪・磔・獄門などの刑罰、無縁仏の埋葬・供養、刀の試し切り、腑分け(解剖)などが行われていた。明治初年に廃止になり、回向院の境内地や官有墓地や宅地などになって行った。
ここで行われていた腑分けは、杉田玄白の「解体新書」で有名だよね。
電車の窓から見えている、地蔵は、首切り地蔵っていう名前らしい。さすが元刑場にあるだけあってそれっぽい名前だ・・・
寺の入り口にあった、説明の看板によると、首切り地蔵は、寛保元年(1741)に無縁仏供養のために立てられたといわれると書いてあった。
名前は、首切りだけれども処刑とはあんまり関係が無いんだな。
この延命寺は、常磐線の工事のために隣にある回向院というお寺から分かれてできたらしい。
なので次に、回向院に行ってきた。といってもほぼ隣なんだけどね。なんかいろいろな有名な人のお墓があった。でも吉田松陰と鼠小僧以外はしらね。
左から鼠小僧次郎吉、高橋お伝、片岡直次郎、腕の喜三郎のお墓
一番奥のほうに吉田松陰のお墓があった。