今にも雨が降りそうな天気だったが、今の時期を逃すと来年まで行くことができないので、折り畳み自転車をもって電車で北本まで行ってきた。
ちょっと田舎なので道がまっすぐでなくて、道に迷ってしまったが、30分ぐらいかけて何とか東光寺にたどり着いた。事前に情報をあまり調べていなかったので大きなお寺だと思っていたら、小さなお寺だった。
本堂のところで、近所に住んでいる人がお寺の説明をしていて、このお寺は埼玉県にでは、珍しい時宗のお寺だといっていた。確かに近所の寺で時宗のお寺って聞いたことがないな。
お寺の隅にあった看板を見てみると、川越の東明寺(時宗)の末寺で、伝説によると源頼朝の弟の蒲冠者(がまのかんじや)源範頼が作ったお寺だと書いてあった。このお寺の有名な石戸蒲桜の名前の由来は、源範頼が石戸に来た際についてきた杖が根づいたのがこの桜でそれにちなんで「蒲桜」となずけられたらしい。
これが天然記念物の石戸蒲桜、ちょっと雨が降りそうだったけれど無理をしてきてよかった。
東光寺の近くにあった神社にもよってきた。
神社の歴史を調べてみたところ、東光寺と関係が深いらしい。
当社は古くから白山社と号した。創建の経緯は不明であるが、地内の東光寺は、かつて阿弥陀堂と呼ばれており、源頼朝の弟範頼が当地へ配流となった折、息女の亀御前が病に罹り、正治元年(1199)7月に亡くなったため、その追福により堂を建てたことに始まると伝わる。
白山修験が信仰した白山三所権現は、十一面観音・阿弥陀・聖観音を本地とし崇敬することから、十一面観の垂迹である菊理姫命を祭神とする当社も、阿弥陀堂の創建の創建と前後して祀られたのではないであろうか。
当社の江戸期の事歴については明らかではなく、明治初年の社格制定に際しては無格社とされた。昭和18年に、石戸宿村が中丸村と合併し北本宿になると「石戸」の地名が消える事を惜しみ、社名を「石戸神社」に改めたという。